① 大原城(北緯35.747527, 東経140.449349)
曲輪、腰曲輪、堀などの遺構が部分的に残る。
② 飯笹陣屋(北緯35.757814, 東経140.527155)
近世の陣屋。天保13年(1842年)に、旗本松平康盛が築く。土塁が部分的に残る。
③ 土橋城(北緯35.7575435,東経140.4786979)
南北朝時代の土橋城合戦の舞台になった城。曲輪、物見台、堀などの遺構が残る。
④ 新城(北緯35.455920, 東経140.284110)
土砂採掘のため、半分以上消滅。一部土塁、空堀等が残る。
⑤ 次浦八郎常盛館(北緯35.7822411,東経140.4765910)
中世の次浦八郎常盛の館跡と言われる。この時代のものとしては珍しい水堀が残る。
⑥ 三倉城(北緯35.796475, 東経140.494288)
台地上の城、曲輪、腰曲輪、空堀、土塁、土橋、櫓台などの遺構が良く残る。
⑦ 次浦城(北緯35.7834779,東経140.4862403)
台地上の集落と一体化した城郭。主郭部分の遺構が良好に残るとともに、馬場遺構も良好に残る。
⑧ 千田の台砦(北緯35.712927, 東経140.443642)
別名千田城、古屋敷等の地名が残る。
⑨ 長者屋敷館(北緯35.729018, 東経140.450766)
中世の館跡。長者屋敷という地名が残る。
⑩ 城の台砦(北緯35.724879, 東経140.455879)
別名水戸谷城。石碑あり。曲輪、腰曲輪等の遺構が残る。
⑪ 大島城(北緯35.715428, 東経140.464643)
別名「堂谷城」。曲輪が残る。
⑫ 多古城(北緯35.7311704,東経140.4642408 標柱なし)
広大な台地上の城跡。開発に伴い半分以上が消失。物見台、虎口、腰曲輪、大規模な空堀が残る。
発掘調査により、畝堀が検出されている。
⑬ 多古藩陣屋(北緯35.7347556,東経140.4662300 標柱なし)
正式には「松平陣屋跡」。寛永12 年(1635)以来、多古藩(12,000 石)松平家の陣屋となった。
陣屋としては珍しい石垣が残る。
⑭ 多古城出城(北緯35.435348, 東経140.280004)
半分以上消滅。一部、曲輪跡が残る。多古城の出城。
⑮ 分城(北緯35.7372887,東経140.4788505)
千葉胤貞築城と伝わる。土塁、空堀、物見台等が良く残る。
⑯ 中城(北緯35.7399677,東経140.4931211)
千葉胤貞築城と伝わる。枡形虎口、曲輪、腰曲輪、土塁、空堀が良く残る。
⑰ 壺岡城(北緯35.444499, 東経140.300683)
半分以上が消滅。一部、土塁、曲輪、腰曲輪が残る。
⑱ 玉造城(北緯35.7671099,東経140.5097069)
台地先端部に作られた城。曲輪、土塁、堀切や櫓台と見られる遺構が良く残る。
⑲ 松崎城(北緯35.7705659,東経140.5275057)
能満寺を中心とした台地上の城跡。土塁、空堀、腰曲輪が残る。
⑳ 仁良切砦(北緯35.766606, 東経140.527311)
台地先端部の城。曲輪、土塁、虎口が残る。
㉑ 牛尾砦(北緯35.696875, 東経140.460936)
牛尾氏が多古城に移る前に居城とした城。尾根上に曲輪等が残る。
㉒ 志摩城(北緯35.7224519,東経140.4739980)
栗山川流域の低地に島のように浮かぶ独立台地上に位置する。
枡形遺構が良く残る。船着き場とみられる遺構も存在。
㉓ 並木城(北緯35.7290837,東経140.4862359)
栗山川と借当川の合流する台地上に位置する。水運を押さえる役割も有したと考えられる。
枡形虎口、二重空堀、土塁、櫓台などが良好に残るとともに、史書にも名前が残る城跡。
㉔ 物見台城(北緯35.7379332,東経140.4948270)
土やぐら城(北緯35.7371590,東経140.4977770)
曲輪、腰曲輪、空堀、枡形虎口が残る。
物見台や同じ台地上に存在する物見台城郭遺構をそれぞれ「物見台城」「土やぐら城」といい、総称して「 中城」ともいう。
㉕ 井戸山砦(北緯35.451610, 東経140.282733)
台地先端に位置する。塙場、出戸という城郭関連の地名が残る。土塁等の一部遺構あり。
㉖ 飯土井台館(北緯35.443472, 東経140.285061)
台地上に位置する。遺構はほとんど残っていない。
㉗ 大島砦(北緯35.7110657,東経140.4713406)
独立台地の先端に位置する。曲輪が残る。
㉘ 間倉城(北緯35.758878, 東経140.426973)
遺構の多くが消滅。曲輪、土塁の一部が残る。
㉙ 初田城(北緯35.719409, 東経140.454830)
台地上に位置する。曲輪、空堀が残る。
㉚ 東台城(北緯35.741532, 東経140.451226)
台地上に位置する。曲輪、空堀、虎口が残る。
㉛ 檜木城(北緯35.780763, 東経140.466054)
枡形、曲輪、土塁等が残る。
㉜ 方田城(北緯35.757814, 東経140.527155)
台地上に位置する。曲輪等が残る。50 メートル近く続く土塁は圧巻。
㉝ 一鍬田城(北緯35.778525, 東経140.410635)
城の位置は不明。(分布図には詳細地掲載なし)台地上の集落全体を利用していると思われる。
㉞ 久保城(北緯35.7450096,東経140.4871636)
千葉胤貞の居館といわれる。台地先端に位置する。土塁、曲輪、空堀が残る。